#5【エリザベート】あの娘の美貌が怖い・・・姑を脅かすエリザベートの美貌!嫁姑争いの勝者はどちら?【Elisabeth】@囁き女官の館

概要

■【皇妃エリザベート】シリーズはこちらからご覧いただけます↓↓↓


■チャンネル登録はこちらから↓↓↓
https://www.youtube.com/channel/UCEhR8SgFYDC_pWPjHIOLnjA?sub_confirmation=1

■■■■■■■■■■■■■■■■

【只今、限定動画プレゼント中です!】

『妄想★ヴェルサイユ宮殿ツアー』
に参加してみたくなった方はこちら↓↓↓

【無料】限定動画プレゼントを受け取るには、
以下のリンクから友だち追加してみてください。
https://lin.ee/AzL8Kcm

囁き女官あくあより、自動返信メッセージが届きます(^^♪

上記リンクは囁き女官あくあの『LINE公式アカウント』になります。
囁き女官あくあがLINE公式アカウントに登場(^^♪

※『妄想★ヴェルサイユ宮殿ツアー』は、『動画』になります。

■■■■■■■■■■■■■■■■

■■■■■■■■■■■■■■■■

■【世界一リアルなマリー・アントワネット】シリーズはこちらからご覧いただけます↓↓↓


■【世界一リアルなマリー・テレーズ】シリーズはこちらからご覧いただけます↓↓↓

■【皇妃ウジェニー・第二帝政期のマリー・アントワネット】シリーズはこちらからご覧いただけます↓↓↓

■【ルイ17世】シリーズはこちらからご覧いただけます↓↓↓

■■■■■■■■■■■■■■■■

こんにちは(^^♪
”@囁き女官の館”管理人のあくあと申します。

ご覧いただきまして、
ご評価(いいねマーク)を選んでいただけますと
今後の配信の参考になりますので、大変嬉しいです。

また、コメントも是非お寄せ下さい!
お待ちしております(^^)/

※※※

@囁き女官の館”はMarie AntoinetteやMarie Therese、Louis XVII、Elisabeth の生涯を追及するチャンネルです。

1855年に、第一子のゾフィを出産したエリーザベトは、翌年の1856年にも、第二子となる女児ギーゼラを誕生させました。
長女同様、次女ギーゼラも、姑の手に渡ってしまい、二人の子供を産んだにもかかわらず、エリーザベトの地位は相変わらず、低いままでした。
発言権も決定権も与えられず、すべてが姑ゾフィに牛耳られ、ただ、表面的に皇妃らしく、威厳を持って振る舞うことだけが、要求されました。
また、帝国の存続のための跡継ぎとなる男児をなかなか産まないエリーザベトを、姑のゾフィーはねちねちと責め立てました。
姑のゾフィ大公妃が、子供たちがエリーザベトの元で過ごすことを許さなかったため、エリーザベトは、我が子に会うために急な階段を上り下りして、他の階にある、子供部屋に行かなければならず、その面会時間も限られた僅かな時間でありました。
思うように、我が子と接することが出来ないエリーザベトの悔しさや疎外感・・・それは、エリーザベトがさらに、反抗的な態度をとり続けることへとつながりました。
馬に乗って、ウィーンの森を疾走したり、単身、街に出て散歩をしたり、買い物をして、店員と気楽に語ったり、夕食にビールを飲んだり、タバコを吸ったり・・・。
ですが、これらの反抗的な態度は、宮廷の不興を煽るだけで、なんの解決策にもならず、姑との溝を益々、深めていったのでした。

#エリザベート #囁き女官の館 #囁き女官の森 #マリーアントワネット #世界史
※※※

◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

こちらは、”囁き女官の館”のあくあが厳選した、おススメの動画です。
合わせて、ご覧下さいね(^^♪

【フランス最大のミステリー】ルイ17世生存説はどのように紐解かれていったのか?

断頭台で見せたデュバリー夫人の最期?!なぜマリー・アントワネットと比較される?!【Marie Antoinette】

秘話【Marie Antoinette Portrait】マリー・アントワネットを描いてみた・・・

◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

音源
ソース: __トラック_url__ http://incompetech.com/Earnestでライセンス付与されています。
アーティスト: Kevin MacLeod
ソース: __トラック_url__ http://incompetech.com/Impromptu in Blueでライセンス付与されています。
アーティスト: Kevin MacLeod

YouTube
嫁姑バトル

コメント

  1. Hinode Ichiban より:

    ゾフィーおばあちゃんもここまで来るとクソババアですね笑

    クリミア戦争にせよイタリアにせよ曖昧な態度で世界から軽蔑される…正に今の日本国じゃありませんか笑

    「 武器は錆び付かせてはならない、常に磨き続けるべきだ 」

    全く同感です。

    日本人はソレを全く理解しない。

  2. 弘子 山村 より:

    美貌こそは力!って分かるような気がします。現在社会でも見た目がキレイな人の方が何かと特をしている気がします。私も悔しい思いを何度となく今までして来た事か😔

  3. hana w より:

    ナレーションの音量にムラがあってしんどい

  4. u. mayumi より:

    ミュージカルの中の歌が浮かびます ♪子供の教育君に任せる…♪

  5. まるるる より:

    最初は姉が嫁げばなぁ……と思ったがこのタイプの姑はどんな女でも文句言うんやろうな。

  6. 風琴 より:

    美貌だけが武器で、シシイもそれにしがみついた。全然革新的な女性ではないと思う。息子ルドルフとヨーロッパの未来像や共和制について展望を開いたならともかく。当時のヨーロッパの王族の女性ですら、シシイの浪費癖を批判しています。私の彼女の評価は知れば知るほど大下降。きれい事を言いながら、特権階級のわがままし放題。
    古風と言われるビクトリア女王の方が政治的センスがあったし、外交努力もした。

  7. 葉月はづき より:

    シシィに正直いいイメージなかったけど見方変わりました。

  8. 松本敏行 より:

    最大の武器は美貌である。誰でも言える言葉じゃないです。

  9. kana19841027 より:

    シシィ賢いな~😂才色兼備のイメージ‼️

  10. moe oonishi より:

    知らなかった!シシィって頭がよかったんですね。手袋を差し上げてなんてなかなか言えることではない。しかも美しさは武器!これ大大当たりですよ!男性は女性の美しさ、笑顔には勝てません。それも美人からの他の頼みなんて断れませんよ!これは今も昔も変わりません!!

  11. 🎀MIKI🎀 より:

    エリーザベトにはとてもおよびませんが、女磨きがんばらねば❗️と、思いました‼️💪

  12. ごはんなっとう より:

    かっこいいなぁ。。シシィって、こんなに機転が効く人だったんですね。
    腑に落ちない事とそうでない事を選別する思考回路は、宮廷が求めるお姫様像には合ってなかったから衝突があるのも分かる。
    これからも楽しみにしてます♪

  13. だだ より:

    お嬢様芸人たかまつななの声に似てる

  14. Esso Cat より:

    I was wondering how Empress used for her own hair care and looked up 19th century products. Eventually tried some concoction of oil, essential oil, vinegar and egg (basically salad dressing with perfume ) .it was not working as today’s conditioners!

  15. jam より:

    少し違いますが、父方の祖母、亡母の関係を思い出します。
    祖母は元々、お金持ちのお嬢様。母の一族は(いとこ、いとこ、祖父母は、はとこの血族婚でした。)大変身分の高い一族であった事が判明。母方一族は頭脳明晰です。
    多少、我が儘に育った祖母。明治生まれの女性。母に対してきつく当たる事もありました。
    ですが、祖母の晩年、母は祖母の世話を献身的にしておりました。
    祖母は決して母を嫌っていたのではなく、母が気が利かない様に写っていたようです。
    晩年の母は、私が気が利かなかったんだ。今、お婆さんの気持ちが良くわかる。と言っておりました。
    母の葬儀は、何方か分からない方々が弔問にいらして下さいました。民間人での葬儀では、見た事のない人数。
    祖母も母も、育ちの良さなのか、とても慈悲深い人でした。
    人間、妬んだりひがんだりするものではない‼それは全て自分に返って来ます。
    まとまりのない話しで、申し訳ありませんが、自分が妬み、ひがみのない性格は祖母、母や先祖のおかげと思っております。
    兄、弟は、そこそこの成績で大学にも行っておりますが、私は…父に似たらしい😂
    そして私達兄弟は、父から、貧乏人なんだから‼と育てられました😆
    卑屈には一切なりませんでしたけれど、かなりの年齢までそれを信じていた、おめでたい性格の私です✌️😂✌️
    兄、薬学科に行って、薬剤師の免許を持っていますので、貧乏人がそんな学校へ行ける訳ない‼って😂
    父、隠し財産を持ってたらしい😂😂😂

  16. Erika Sono より:

    オーストリアが支配していたのは、南チロル、ロンバルディア、ヴェネツィアだけではありません。スイスも同様です。

    シラーの《ヴィルヘルム・テル》をロッシーニがオペラ化した際、原作では地主の娘とされていたマティルデをハプスブルク家の姫としているのは意味深です。

    このマティルデには、皇妃エリーザベトが投影されているように思います。

    ハプスブルク家の姫でありながら、スイス独立運動の志士に加担し、抑圧されている民衆に反抗して、悪代官から民衆を守る。

    もちろん、皇妃エリーザベートを直接オペラに描き出したら、さすがに検閲は通らないでしょう。でも、こういう形でシラーの原作を変えてハプスブルク家にも、民衆の独立を支持する人がいることを描き出すことは通ったということですよね。

    尤も、上演はイタリアではなく、パリでしたが……。

    *****

    イタリア人が多く、イタリア語が日常で使われていたのは、実は、南チロル、ロンバルディア、ヴェネツィアだけではない。

    現在もオーストリア領であるケルンテンですら、イタリア語は日常生活で使われている。

    私がウィーンでの資料研究滞在中、現地の若い人と共同アパートで住んでいた時にも、ケルンテン出身のオーストリア人がいました。

    「きみはイタリア語もできるの?」と訊くから、私が「できるよ。イタリアにも何か月も住んでいたし」と答えると、彼は、急に会話をイタリア語に切り替えたのです。

    外国人がイタリア語を習った、という雰囲気ではない。確かに、日常生活でイタリア語も使われている、ドイツ語とイタリア語は、彼のなかで同格なのだな、と。

    ですから、南チロルとケルンテンの間に国境線を引いたことは、むしろ不当だったのかもしれません。

    支配者階級はドイツ語を話していても、民衆の多くはスラヴ系のチェコ語を話していたチェコ同様、ケルンテンなど、オーストリアのアルプス地域の住民の公用語は、そもそもイタリア語だったのではないかな? と。

    フィギュアスケートのコストナー選手はイタリア人ですが、故郷の州の公用語はドイツ語、そしてそもそもの母国語は、ドイツ語でもイタリア語でもなく、別の少数言語ですよね。

    *****

    いずれにしても、皇妃エリーザベートは、単にウィーンの宮廷の儀式などを嫌っていた我儘娘ではなく、自由主義思想を指示していたから折り合いが悪かったのだということが、こうした帝国内の旅行先でのエピソードから分かります。

    エリーザベートが旅行に出ることが多かったのにも、実は意味があったのかもしれません。

    エリーザベートを刺殺したイタリア人アナーキストのルーキーは、果たしてそういう事情を知っていたのでしょうか?

  17. toshi ao より:

    シシィの話はまだまだ続きそうですね。いろんな考え方あると思いますが、主様の考え方好きです。今後ハンガリーの話になるのを期待!

  18. マリアアントニア より:

    夫婦水入らずの旅行、これは良い経験だったと思う。
    元軍人とヨーゼフとのやり取りを見ていたエリーザベトの気転の良さ、素晴らしい。何だか、ウジェニーと重なりました。
    姑ゾフィーの孫と引き離されるならば、宮廷を出ていく発言は大人げない脅し、何だか、わが家の姑と重なりました。
    時代変動の最中、臨機応変に対応出来るか、でしょうね。

  19. 機関車仮面 より:

    1867年、フランツ・ヨーゼフとエリザーベトは、オーストリア皇帝・皇妃ながらもハンガリー王・王妃に即位しました。
    “オーストリア・ハンガリー二重帝国”(アウスグライヒ)の成立でした。

    エリザーベトは公務そっちのけで、専用列車を仕立てて帝国内を列車で旅行したそうですね。とりわけハンガリーの風土が気に入っていたようです。

    1860年代ともなりますとオーストリアは普墺戦争(1866)に敗れ、1872年ゾフィー太公妃が歿すると、エリザーベトは公務をそっちのけで列車で頻繁に旅行をしました。

    バイエルン王朝にも翳りがみえてきたようで、ルードヴィヒ2世の自殺等不幸があったようです。
    ルイトボルト摂政の子アルヌルフの子ハインリヒ王子の家庭教師を務めたのは、ヨゼフ・ゲープハルト・ヒムラーという男でした。
    ヒムラーは次男にハインリヒ王子とルイトボルト摂政の名前を冠しました。
    ハインリヒ・ルイトボルト・ヒムラーは、ナチス・ドイツ第三帝国においてSS(親衛隊)長官となりました。

  20. Emi D より:

    エリーザベトは先進的過ぎてゾフィは古い考えに固執し過ぎた。現代の私たちはどうしてもエリーザベトに共感しますが、ゾフィは彼女なりに慣習に則った威厳を保とうとしたというのも理解できます。でも、変わる時が来ているのに、それを受け入れず、歩み寄ろうともせず、抵抗し続ければ、待っているのは悲劇です。

タイトルとURLをコピーしました